2017年03月26日

話すように書く

作成日: 2017/03/26
更新日: 2017/04/01

ポール・グレアム
2015/10

これは、書いたものをたくさんの人に読んでもらうための簡単なコツである。話し言葉で書くということだ。

人は何かあるたびに書き始めるが、彼らは、友だちに話すのとは違ったように書くことが多い。文の構造や、単語でさえも違っていることがある。英語では、「pen」を動詞として使う人はいない。もし、友だちとの会話の中で「write」ではなく、「pen」を使ったら、バカだと思われるだろう。

何日か前に、私はこんなひどい文章を読んだ。

「機知に富んだスペイン人はこのように宣言した。『アルタミラの後に続くものは、すべて退廃である。』」

これは、ニール・オリバーの「古代イギリスの歴史」からの引用だ。この本から例を作るのは悪い感じがするが、他と比べればそれほど悪くはない。ただ、ピカソが友だちと話す時に「機知に富んだスペイン人は」などと言うところをイメージしてほしい。このたった一文に眉をひそめる人もいるだろう。にもかかわらず、人は本では全てこのように書いてしまうのだ。

オーケー、書き言葉と話し言葉が違うということはわかった。じゃあ、書き言葉を使うのは悪いことなんだろうか?

もし、あなたがみんなに書いたものを読んで理解してもらいたいなら、イエス、その通りだ。書き言葉は複雑だし、文を読みにくくする。それに、フォーマルで堅苦しい。だから、読む人に注意を促すような感じになってしまう。そしてもっと悪いことに、複雑な文章や派手な単語は、書く人であるあなたに対して、実際に言っていることとは違った印象を与えてしまう。

複雑な内容を伝えるのに複雑な言葉を使う必要なんてない。専門家が難解な話題で同僚と会話する時、彼らはランチに何を食べるかということ以上に複雑な言葉は使っていない。彼らは、当然単語は変えている。でも、必要以上にはそうしてはいない。それに、私の経験では、難しい話題ほど、専門家たちは堅苦しくない感じで話している。私が思うにそれは、彼らが証明しなきゃいけない部分が少ないということもあるし、また、難しい内容を話す時ほど、途中に使う言葉を減らさなきゃいけないということもあるんだろう。

インフォーマルな言葉は、アイディアのスポーツウェアだ。

私は、話し言葉が常に良いと言っているわけじゃない。音楽のような詩を書く時には、あなたは会話の中では言わないようなことを書くだろう。それに、散文の中で派手な言葉を使わずに済む作家はほんの一握りだ。そして当然、わざわざ言っていることを読みにくくするためにそうしていることもある。例えば、企業の悪いお知らせとか、偽りの人間性を表している時などだ。

たいていの人にとっては、話し言葉で書くのは難しいらしい。いちばんの解決策は、最初の原稿をいつもと同じように書いて、それから一つひとつの文に対して「これは友だちと話すとしたら使う言葉か?」と考えてみることだ。もしそうでないなら、何と言うか考え、そのように直してみる。しばらくするとこのフィルターが自分で書く時に使えるようになるだろう。話すように書けていないのであれば、あなたはページがガチャガチャと音が鳴っているように聞こえるはずだ。

私は、新しいエッセイを出す前に、声に出して読み、会話のように聞こえていない部分を直すようにしている。音声学的におかしい部分も直している。そこまで必要かどうかわからないが、それはそんなに大変なことじゃない。

この方法は、いつでも使えるというわけじゃない。私は、文章が話し言葉とあまりにも違っていたために、言葉を使って直すことができない状態を見たことがある。そのようなケースではもっと劇的なやり方がある。最初の原稿を書いた後に、友だちに書いたものを説明してみるんだ。そして、説明した言葉で原稿を置き換えてみればいい。

私は、人から書いたエッセイがすごく私が話しているように聞こえると言われることがある。このことは、いかにみんなが話し言葉で書けていないことを表す価値のあるコメントだ。そうでなければ、みんなが書くものは全てその人たちが話すように聞こえているだろう。

もし単純にあなたが話し言葉で書くことができれば、あなたは他の95%の作家よりも先へ行っている。それに、それはすごく簡単なことだ。友だちに話すようになるまで、文章を出さなければいい。

この原稿を読んでくれたパトリック・コリソン、ジェシカ・リビングストンに感謝します。

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posted by Roopy at 00:00| Comment(0) | 翻訳 / Translations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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